1983年夏、ドイツは40年ぶりの猛暑。僕にとってもホットな夏となった。前年の1982年、東北新幹線が大宮~仙台間に開通。その記念事業として、ドイツ人/ルートヴィッヒ・シャフラット氏(2010年死去)がデザインしたステンドグラスの壁画が大宮駅に完成。サラリーマンを辞め、新しい仕事を探していた僕が、シャフラット氏と出会ったのもその時でした。当時、既に世界を代表するガラス・アーチストとして名を馳せていた彼は、気難しく頑固なドイツ人という印象でした。『日本の障子はまさにステンドグラスだ』と言った氏の言葉は今でも強く記憶に残っています。

 1983年の夏、僕はシャフラット氏のアトリエを訪ねることになりました。氏の生誕地であり、アトリエのあるドイツ・アーヘンにある公共建築物・教会等に設置された氏の作品は、建築的視点で新しい空間づくりを提案し、従来の作品と一線を画す、新鮮なものでした。

 なかでも第二次世界大戦で破壊され、残った修道院の窓枠を利用して1962~1965年に製作された作品は、全体を透明と乳白色のアンティークガラスで構成され、デザインのテーマは「死者へ捧げるレクイエム」。モノクロのガラスの世界は美しさというより、何かを語りかけ訴えているように感じられる不思議で新しい作品でした。その時、初めてガラスの作品が心に響く何かを持っていることを実感しました。

 シャフラット氏のアトリエ訪問後、大宮の作品を製作した工房“オイテマム”へ向かうことになりました。ケルンに向かう途中、小さな村にその工房はありました。大きな正方形のパティオの周囲を工房が取り囲み、パティオに向かって座ると透明と乳白色と気泡入りのガラスで構成されたステンドグラスが目に入りました。

 バラの中心に一部目が絵付けされた、人の顔をしたバラの一輪。

 「誰の作品ですか?」と尋ねると 「ジャン・コクトーの作品ですよ」とのこと。彼はフランスから車を走らせてステンドグラスを製作するために “オイテマム”へ来たそうです。デザインも彼自身、製作するのも彼自身。いつも楽しそうに作っていたそうです。暑い夏の日差しの中に乳白のガラスが常緑樹をバックに、オレンジ色に波打ちながら変化して輝き、バラの花がモナリザのようにほほ笑みかけているような、また、ふとさみしそうにうつむいているように・…実に不思議な魅力のある作品でした。

 シャフラット氏の作品とジャン・コクトーの作品。ただ美しいガラスの作品としてではなく、私の心に語りかけ、心のひだを揺さぶるような不思議な感覚で満たされたことを昨日のことのように思い出されます。1983年は、僕が本物のステンドグラス作品に出会った印象に残る年となりました。

 相も変わらず40℃を超す夏の日が続いていた。ケルン経由の高速でロマンチック街道を横切って1泊。ミュンヘンから東へ200キロ、古都ニュールンベルグから電車で約1時間。チェコとの国境に近いマークトレヴィットという小さな駅に下車。チェコとの国境に近いヴァルトザッセンにランベルツ社の工場はありました。“ドイツのシベリア”と呼ばれ真冬は零下25℃にもなる東の僻地です。

 1200℃前後に熱した坩堝の中から金属のパイプでガラスのタネを吸い上げ、宙吹きしながら徐々に膨らましていきます。数回繰り返し、大きな風船状態に。直径約30センチ、長さ約100センチほどに膨らましたら両端をカットして円筒状にして、冷却窯に入れ、1日置きます。膨らましていく過程が手作りガラスの製法の特徴。膨らましていく途中、ガラスを滑らせる鉄の受け皿に無数の釘がアトランダムに立っていて、そこに熱いガラスを滑らせ、表面に釘の傷あとがつきます。その傷が冷えた段階で光の屈折をより効果的に表現するのだそうです。本物の手作りステンドグラスは傷のあるガラスから作られていることを初めて知りました。

 僕は、ステンドグラスのガラス工房を訪問したことを契機に、この1000℃~1200℃のガラス種から創り出される色が5000色以上もあるガラスの世界に一度で魅せられてしまいました。

  1. ① 1)シャフラット、そして彼の作品との出会い。
    2)ジャン・コクトーの作品との出会い。
  2. ② マイスター制度の中で育成された職人たちの技術力と誇りと伝統。
    “オイテマム”の工房との出会い。
  3. ③ 美しさだけでなく、見る人の心に語りかけ、心を揺さぶるような
    ガラス素材を製造する“ランベルツ”の工場。

 この3つとの出会いは、新しいガラスの世界を建築空間の中で実現できるかもしれないという、小さな夢を少しずつ大きくしてくれました。2年後の1985年(昭和60年)株式会社エー・ジー・クルーを設立。小さな作品でも、そこに住まう人に移ろう光の美しさだけでなく優しさや潤い、時には歓びや悲しささえも感じるステンドグラスの世界を創りたい。そんな「建築空間を実現しよう」という思いで、個人住宅を中心に本物のステンドグラスを創り始めました。西方順一39歳。総勢5人でのスタートでした。

  • ①日常生活に密着した心地よい生活空間を手造りステンドグラスで創ろう。
  • ②高級商品だと思われている手造りステンドグラス作品をリーズナブルな価格で提供しよう。
  • ③小さくても人々の心に残るステンドグラスを創ろう。

 これらの3つの目標を柱に、エー・ジー・クルーは、まったくのゼロから事業を始めました。個人住宅を手掛けるハウスメーカーに打診するも、当初はまったくの反応なし。しかし、1年を過ぎる頃からハウスメーカーのモデルハウスのパーティションに試験的に採用してみようという話がやってきました。試行錯誤の始まりでした。

 「建築は人をつくり、人が建築を生む」と言うように、建築空間は一つとして同じものはありません。地球に暮らすすべての人間と家族は、自分らしい生活が営める生活空間を求めているのです。私たちが提案するガラスの空間が、新しい何かを生み、何かを感じさせる住まいづくりの一要素になればいい…。設計者とインテリアデザイナーの協力によって実現したステンドグラスの一部をご紹介します。

シャフラット氏のコンセプト「建築とガラスの融合」に共鳴した設計者の協力により、新しいガラスの生活空間が実現しました。

それまで既成概念とされてきたステンドグラスの宗教的・具象的なイメージを払しょくする新しい空間づくりの試みでした。

ステンドグラスという手法を用いて、和・和モダンの空間づくりを実現。

ステンドグラスが「新しい障子」としての役割を果たしつつ、新しいインテリア世界を広げました。

ステンドグラスに、異なる製法のガラスや異素材を組み合わせることによって、これまでにないユニークなガラスアートを創出。

  1. ① フロートガラス・スリガラス・型板ガラスとの組み合わせ。
  2. ② 金属・プリズムガラス・面取りガラスとの組み合わせ。これらの併用でこれまでにないモダンな生活空間が出現するとともに、
    全面ステンドグラスよりコスト面のメリットをも引き出しました。

こうして、創業から10年を経て多くの設計者・インテリアデザイナーの協力を得て、
個人住宅に新しいガラスアートの生活空間が広がっていきました。

 個人住宅から始まった新しいガラスの建築空間づくりは、創業5年を過ぎる頃から商業空間や公共の建築空間へと広がっていきました。それに伴い、新しい技法や製法が必要となり、ガラスの質感もステンドグラスだけでなく、さまざまな製法のガラスを併用する傾向が強まっていきました。

積層ガラスはフロートガラスを一定の厚さにカットし、質感を強調するために一面を傷つけ、積み重ねて造形するガラスのことです。
オブジェなどの素材として新しい表現を可能にしました。

熱熔ガラスは質感の異なるガラスを電気窯を使って高熱で溶接する製法のガラスです。

LEDを合わせガラスの中に内蔵した「パワーグラス」(ドイツの特許製品)を新しいディスプレイ製品として建築空間に提案しました。
また、LEDを使ったメディアとして情報発信できる「メディアファサード」も展開中です。

現在、新しい素材として取り組んでいる「発熱ガラス」。機能とデザインを両立させた機能ガラスは新しい生活空間を創出します。

 手造りステンドガラスから始まった私たちの30年。その過程はいつも明るい光に包まれたものではありませんでした。しかし、創業の原点である「ガラスによる新しい建築空間の創出」という視点は、新しいライフスタイルを実現するための試行錯誤の繰り返しでもありました。ものづくりに終点はありません。これからもクライアント・設計者・デザイナーのお力添えにより、お客様に支持されるようスタッフ一同、挑戦を続けます。創業30年、そしてこれからの30年に向けて、新たなる旅立ちです。